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三菱のSUVの歴史はジープから始まった?ジープからパジェロになるまで

三菱を代表するSUVと言えば、1982〜2019年まで発売されたパジェロの名前がよく挙げられますが、そのパジェロの礎となったモデルがあります。それが1956年から製造・販売されていた三菱 ジープです。今回はこの三菱 ジープ誕生からパジェロ登場までの歴史を振り返っていきます。

更新日2020/07/17

そもそもジープとはどんなモデルなのか?

1941 Jeep Willys MA
ジープと聞くと多くの方が思いうかべるのがアメリカ車のジープではないでしょうか?このジープの起源は1940年にまで遡り、当時のアメリカ陸軍の要請により開発され、41年から実戦に投入された小型四輪駆動車を元祖とします。

ジープという名前は現在では馴染み深いですが、当初はニックネームのような形で自然と発生した呼び名でした。第二次世界大戦後に当時ジープを生産していたアメリカのウイリス・オーバーランド社が商標登録をすることにより、正式にジープというモデル名が与えられることになりました。

 

 

三菱 ジープ誕生にある戦後の時代背景

三菱 ジープ 1953
1950年代初頭、戦後復興の最中であった日本に見慣れないクルマがやってきます。それはアメリカ軍人たちが乗っていたジープです。当時の日本人からすると一風変わったこのクルマは子供たちを中心に人気を博し、日本人の憧れのクルマとなりました。

ウイリス社は、ジープは民間でも需要があると見込んでおり、終戦前から民間仕様のジープの開発に着手していました。そして戦後を迎え、より多くのジープを世界へ向けて売り込むために日本でも1949年から倉敷フレーザーモータースという倉敷レイヨンと共同出資で設立した会社から販売。このジープは在留アメリカ軍人などが購入していました。

当時の各官庁もこの多様性を有するクルマに注目していて、警察予備隊などを中心にジープ採用に前向きでした。しかし戦後直後の日本は外貨事情や国内産業保護政策などにより完成品を大量に輸入するということは困難な状況でした。

このようなお互いの背景を踏まえ、ウイリス社の技術支援によりジープの国内ライセンス契約生産の政府認可が得られたのが1953年9月のこと、そしてこの国内生産は三菱重工業が担当することになりました。こうして三菱ジープは誕生したのです。

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“三菱”ジープとしての進化

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三菱 ジープ CJ-3B

三菱による日本での国内生産がスタートした1953年に、ウイリス社は同じくアメリカのカイザー社に買収されます。ここから三菱ジープの独自進化が始まっていきます。当初ウイルス社から提供されていたエンジンを搭載していましたが、三菱はこのエンジンの独自生産化にこぎつけ、1956年にジープの完全国産化を実現します。

このころになると防衛庁以外の公的機関や民間にもジープは普及しており、様々な用途に対応する仕様が求められるようになりました。4人乗りキャンバス2ドア幌型が基本であったジープですが、メタルドアや4ドア、全長を伸ばしたワゴンスタイルやメタルルーフを採用したモデルが次々と登場し、バリエーションを増やしていきます。

また、ディーゼルエンジン搭載モデルの追加や右ハンドル化なども実施、三菱のジープとして進化が一気に進みました。

 

個人ユーザー向けジープJ-58の登場

三菱 ジープ 1998

1998年8月 最終生産記念車

その後もバリエーションを増やしつつ改良を重ね、ジープは生産台数を伸ばしていきます。そんな中1975年にジープ J-58が登場します。それまでのジープは個人ユーザーが好き好んで購入することはあっても、あくまでも公的機関を中心とした「働くクルマ」として開発されてきました。しかし、このモデルは初めて個人ユーザーにターゲットを向けたモデルと言えます。

当時のジープはディーゼルとガソリン両方をラインアップしていましたが、ディーゼルは騒音面で不満が多く個人ユーザーカーには不向きでした、そしてガソリンエンジンモデルはどれも排気量2.0Lオーバーとなっていて、登録時は1ナンバー登録となり税制面や燃費の面で経済的とは言えませんでした。

そこに登場したJ-58は2.0Lガソリンエンジンを搭載、騒音や燃費も改善され、税制面でも有利な4ナンバー登録が可能という個人ユーザー向けのパッケージングでした。またツートンカラーが設定されたり、1977年の改良でギア比が高速重視に変更を受けたりするなどし、個人で楽しめるジープを確立したモデルとなりました。

これにより1979年に三菱ジープ史上最高の生産台数である1万1660台を記録しました。

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パジェロの登場とジープの衰退

1998年8月 最終生産記念車

1982年にパジェロが登場します。これまでのジープの生産と改良で培ってきた技術を生かし、悪路走破性や高い信頼性をなどといったタフな性能を実現しつつも、乗用車感覚で乗ることができる快適性を兼ね備えた新しいジャンルのモデルとして登場。このパジェロはオフロードファンから一般ユーザーまで幅広い層に支持を受けヒットしました。このヒットが後年のRVブームへとつながっていきます。

そしてこのパジェロの発売を境にジープの年間生産台数は2,000台前後へと大きく落ち込んでいきます。1996年にジープを委託生産している株式会社東洋工機も社名をパジェロ製造株式会社へ変更。自衛隊に納品している小型車両も排ガス規制や衝突安全基準対応の関係により、ジープベースのものから、パジェロベースのものへと置き換えられます。

1998年8月に生産終了が決定し、最終生産記念車が限定300台作られ、46年の歴史に幕を閉じました。

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三菱ジープは今日の日本のSUVを作った1台

当初ライセンス生産から始まり、独自の進化を遂げていった三菱ジープは、戦後の復興を支え、後に登場する日本のSUVたちに多大な影響を与えた日本自動車史に残るモデルと言えるでしょう。それほどまでに偉大なモデルなのです。

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