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ダカールに挑戦したSUVたち

2020年、初めてサウジアラビアで開催された第42回ダカールラリーでは、トヨタ ランドクルーザーが、見事に市販車部門7連覇。総合優勝は、X-raidミニ(カルロス・サインツが2度目の制覇)、トラック部門では排気量10L未満で日野レンジャー(チーム菅原)は11連覇をはたしました。SUVの世界一決定戦と言っても過言ではないダカールラリー(パリダカールラリー)を、日本製SUVを中心に振り返ってみましょう。

更新日2020/04/09

創世期はルノー 4 サンパール、VW イルティスも活躍


「私にできるのは、冒険の扉を示すことだ。扉の向こうには、危険が待っている。扉を開くのは君だ。望むなら連れて行こう」

パリ・ダカールラリー(通称パリダカ)の創始者ティエリー・サビーヌの有名な言葉です。

彼は主催団体TSOを設立し、アフリカの砂漠を舞台にした長距離冒険ラリーを行いました。1979~2007年が北アフリカを舞台にしたパリダカ、2009~2019年が南米でのダカールラリー、そして2020年から舞台を中東サウジアラビアに移しダカールラリーが継続しています。

1978年12月26日。挑戦者たちはバイク87台、4輪+トラック(フランス語でカミオンと呼ばれます)80台に乗り、パリのエッフェル塔直下のトロカデロ広場に集結しました。

ルートはパリをスタートし、地中海を渡りアルジェ(アルジェリア)に。そしてサハラ砂漠を縦断してから進路を西に取り、大西洋をのぞむダカール(セネガル)までの10,000㎞でした(1979年1月14日ゴール)。

この第1回は車種別のカテゴリーがなく総合順位で争い、優勝はバイクのシリル・ヌブー(ヤマハ XT500)で3位までがバイク。4輪最上位は総合4位のレンジローバーで、総合5位にルノー4の4WDモデルSinper(サンパール)、日本車最上位は総合11位のトヨタ ランドクルーザーでした。

第2回大会は1980年1月1日~23日で、ここからバイク、4輪、トラックがクラス分けされます。4輪はフォルクスワーゲン イルティス(4WDクロスカントリーモデルの軍用車)が1-2位(この4WDシステムを研究し設計されたのがアウディ クワトロです)。3位はルノー 4サンパールでした。

 

1985年パジェロ、日本車初の総合優勝

三菱 パジェロ 19831981年第3回大会に日本人チームが初出場します。チームACPの2WDのトヨタ スターレット 1300とランクル FJ60でした(2台とも規定時間外完走)。1982年はルノー R20 ターボ4×4(プロトタイプ)が優勝。

1983年は、前年に発売開始さればかりのパジェロで、規模こそ小さいものの三菱がファクトリー参戦。市販車無改造マラソンクラス1-2位で、総合でも11位という快挙を達成しました。この年の優勝は、メルセデス 280Gのジャッキー・イクスで、F1、ルマン24時間、そしてパリダカに優勝した唯一のドライバーになりました(現在まで)。

また、その後2019年まで連続出場を果たしパリダカレジェンドとなる菅原義正さんがバイクで初参戦しました。ちなみに菅原義正さんはこのレースで骨折しリタイアしています。

1984年はポルシェがファクトリー参戦。マシンはプロトタイプの911 4×4で、見事優勝。パジェロは市販車改造ながら総合3位と健闘し、市販車無改造クラスで連覇を達成しました。

翌1985年、三菱はプロトタイプのパジェロを投入し、総合1-2位と圧勝。ポルシェは1986年に、 959(1-2位)で雪辱を果たし、パジェロは3位でした。この大会途中、主催者T・サビーヌがヘリコプターで墜落し事故死してしまいました。が、意志を継いだスタッフと父親やラリーを続行しました。

このころのパリダカは、トップとの差でタイムオーバー失格の厳しい規定があって、時間内で完走することはプライベーターには非常に厳しいものでした。ルート設定は年々厳しくなり、総距離も1986年には15,000㎞にもなっていました。

1987年にポルシェは撤退したもの、今度はプジョーがWRCチームそのままに参戦。マシンは205 T16 Grand Raidで、エースにWRCチャンピオンのアリ・バタネンを要して優勝。三菱のエース篠塚健次郎さんが総合3位に食い込むものの、ここから三菱は、プジョー、そしてシトロエン(1991年から)と厳しい戦いを強いられることになります。

その他、トヨタは市販車区改造でランクル FJが初優勝し、総合でも4位と大健闘。市販車改造ディーゼル部門では、日本のACPがランクル BJ71Vでクラス優勝。日産もパトロール(日本名サファリ)で総合9位を獲得しました。

1988~1990年はプジョーが、アフリカ大陸を縦断し最南端の南アフリカ・ケープタウンがゴールとなった1991年第14回大会はシトロエン(ZXラリー)が優勝。バイク、4輪(パジェロ)で参戦してきた菅原さんは、1991年からトラック(日野レンジャー)に乗り換えて参戦しました。

その後パリダカは、各国の政情不安からスタートやゴール地点やルートを変更しながらアフリカを舞台に2007年第29回大会まで続きます。

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パジェロ総合優勝12回

1992、1993年は、パジェロが総合優勝。1994~1996年はシトロエンの後塵を拝しますが、1997年第19回大会で篠塚さんが日本人初優勝をはたします。

その後もパジェロは、1998、2001、2002年に総合優勝。2003年からはパリダカ専用マシン、パジェロエボリューションを投入(パリダカ参戦用市販マシンもありました)。2001~2007年まで三菱は7連覇。この間、増岡浩さんが2002、2003年に優勝。パリダカ2勝は日本人初のことでした。

パリダカは、2008年第30大会が政情不安でスタート直前にキャンセルとなり、2009年第31回大会から舞台を南米に移し、名称もダカールラリーとなり継続されます。

 

2WDバギー vs 4WDハイラックス

トヨタ ハイラックス 2019南米で初開催となった2009年第31大会で、三菱はパジェロエボリューションに代わりレーシングランサーを投入。エンジンはガソリン V6からディーゼル 3.0L ターボに変更され、活躍が期待されましたが総合10位。その直後に三菱は、ダカールラリーでのファクトリー活動休止を発表しました。

南米大会(ペルー、ボリビア、アルゼンチンなど)になったダカールラリーですが、ルートには砂丘もあり、山岳路もありとバラエティに富んだコースで、総距離は以前として9,000㎞前後です。

この2009年には、VWのレーストゥアレグが優勝し、2011年まで3連覇を達成。エンジンは5.0L V8ではなく2.5L 直5の2ステージディーゼルターボで、ダカールラリー史上ディーゼルエンジン初制覇となりました。三菱のレーシングランサーもそうですが、このころはディーゼルエンジンに対して規制がやや緩かったからのです。

2012~2015年は、ミニ オール4レーシング(4WD)が4連覇。エンジンはBMW X3にも搭載されるディーゼルの3.0L 直6でした。

2016~2018年は、プジョーの2WDバキー(2008/3008 DKR MAXI)が3連覇。これは、規定で4WDよりも軽くでき、大径タイヤを使えるメリットを生かした結果でした。エンジンはやはりディーゼルで3.0L V6ツインターボでした。

2019年は、自然吸気5.0L V8エンジンをフロントミドシップにマウントした、トヨタ ハイラックスEVOがガソリンエンジンと4WDの意地を見せ、トヨタに初優勝をもたらしました。

サウジアラビアで初開催となった2020年は、ミニのジョン・クーパーワークス・バキーが優勝。これはミニが2018年から4WDマシンに加えて投入したマシンで、3.0L V6のディーゼルターボ。トヨタ ランドクルーザーは、市販車部門7連覇をはたしました。

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市販車部門の絶対王者ランクル

トヨタ ランドクルーザー 2020トヨタ車体(TOYOTA AUTO BODY)は、トップカテゴリーとは別の市販車部門にランクルを走らせてきました。

ランクルは、1994年以前にも浅賀敏則さんが市販車ディーゼル部門でクラス優勝をはたしていましたが、1995年からトヨタ車体で本格的に参戦を開始。1996年に市販車ディーゼルでクラス優勝(80系)。1998~2003年まで同クラスを連覇します。

さらに2005~2007年も優勝。南米に移ってからの2009~2011年、2014~2019年、そしてサウジアラビアでの2020年に優勝(7連覇中)しました。

市販車部門は完走すら難しく、ベース車両の基本性能の高さはもちろん、ドライバー、チーム、開発陣など総合力が高くないと、ここまで安定した強さは発揮できません。これが海外では、非常に高く評価されています。

ラリーの助手席に座っている人はなにをしているの?

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この先もダカールラリーは続くでしょう。完走したすべての人間が勝者である、という理念はいまも受け継がれています。究極の冒険ラリーで見るさまざまなマシンに、未来のSUV像があるかもしれません。

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